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智慧の胡椒論:書かれた言葉じゃ守れないのか


おかげさまで、2013年に公開した虹と欄干Part1はそこそこの話題になったようで、音源を使わせてほしいという申し出や、リーディングイベントに招待されるなど、新しい出会いや、活動の幅を広げる機会に恵まれた。
一方で、虹と欄干を「ポエトリーリーディング」として紹介したことを後悔することにもなった。最初に招待を受けたリーディングイベントで、渡辺は自分が思い描いている「リーディング」のイメージと、世間一般に言う「リーディング」のそれに大きな溝があることを痛感した。

そもそも虹と欄干を「ポエトリーリーディング」として紹介したのは、渡辺が音楽を再開するにあたって、多大な影響を受けた故・不可思議/wonderboy氏への敬意からだった。氏が谷川俊太郎の「生きる」を読むとき、それは谷川俊太郎の言葉が氏の血肉に昇華された魂の叫びだった。
しかるに、渡辺がたまたま最初に招待を受けたリーディングイベントは、客寄せのためにキャスティングされた新人アイドルに、ステージ上で台本を棒読みさせるだけの唾棄すべき催しだった。そのことがあって以来、自分の楽曲では「リーディング」という言葉は使わないようにしている。

けれども、その出来事は、「リーディング」とは何か?ということを改めて考えさせられる契機になった。

例えば、映画俳優や舞台役者も、台本を読み、暗記して演技をしているけれども、見ている側には、台本の存在を感じさせない真実味がある。あるいは、アシュケナージやフジコ・ヘミングがショパンの楽曲を弾くとき、それは同じショパンの楽譜であっても、まったく別の曲になる。渡辺にとってのリーディングの極致は、そういうものだと思う。

プラトンの『パイドロス』では、「書かれた言葉は自分を守ることができない」という議論がある。

言葉というものは、ひとたび書きものにされると、どんな言葉でも、それを理解する人々のところであろうと、ぜんぜん不適当な人々のところであろうとおかまいなしに、転々とめぐり歩く。そして、ぜひ話しかけなければならない人々にだけ話しかけ、そうでない人々には黙っているということができない。あやまって取りあつわれたり、不当にののしられたりしたときには、いつでも、父親である書いた本人のたすけを必要とする。自分だけの力では、身をまもることも自分をたすけることもできないのだから。(プラトン『パイドロス』)


なんだか都合のいい箇所だけ切り取り編集する現代のマスメディア批判に通じるような話だが、この議論によってギリシア哲学では対話篇が発展し、以来、西洋哲学では、話し言葉と書き言葉の二項対立においては話し言葉が優越する、という考え方が通念になっていく。

虹と欄干のリリックを書く中で、特にPart3以降「守るための言葉とは何か」というのはひとつの大きなテーマだった。
Part4の「書かれた言葉じゃ何にも守れないのか」というフレーズは、上記『パイドロス』の議論の転用である。また、「ペンは剣よりも強い」というリシュリューの引用によって、書かれた言葉は攻撃のための言葉だと位置づけ、それに対して話し言葉は「武田氏の楯無より長けた祭囃子」つまり盾要らずの鎧のように守るための言葉だと結論づけた。振り返ってみれば、虹と欄干は、話し言葉、語られた言葉をVOCALOIDで再演する試みだったように思う。

現代では、録音技術の発達によって、話し言葉もまた、書き言葉のように自分を守れない境遇にさらされている。一方、チャットやSNSなど通信技術の発達によって、書かれた言葉であっても、話し言葉と同じように対話することができるようになっている。
書き言葉と話し言葉の垣根が曖昧になっていく中で、詞や曲を作るという表現もまた、作り続けるという不断の努力によって守っていかなければいけないような気がする。

テーマ : VOCALOID
ジャンル : 音楽

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渡辺いと

Author:渡辺いと
(本名:渡辺峻)
1983年東京生まれ
【好きな音楽】
・クラシックピアノ
・アングラヒップホップ
・演歌
【好きな球団】
・阪神タイガース
【好きな汎用人型決戦兵器】
・エヴァンゲリオン弐号機

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